2013年6月8日土曜日

【おぼえがき】とある研修でのお話

ちょうど2週間前に「ロジックがなってない!」と叫ばれた屈辱を忘れはしない。

声が大きさがディベートの勝敗を分けるのか?
声の大きな人間ほど中身がないのは明らかになりやすいが、本当にその通りなのである。
「論理的」の定義を散々叩き込まれたはずなのに、このお粗末。

今回得た教訓は、
1.声の大きさにだまされない
2.数字にだまされない

大変残念ながら、自信ありそうに喋るバカ(当然他人の話は聞かない)と適当にでっち上げたバカは頭が良いと錯覚されやすいようである。これまた非論理的。
問題はどうやって彼/彼女らを沈黙させるかだが...

2013年5月4日土曜日

【おぼえがき】What should have been done as going

1980年代前半に行われた第二次臨時行政調査会(第二次臨調、昭和56.3-58.3)におけるテーマの一つは、「増税なき財政再建」であった。もっとも、これは1985年のプラザ合意に始まる金融緩和策とそれに続くバブル経済で吹き飛んでしまうのだが。ただ、その後に続く行政改革の源流がこの第二次臨調にあることは否定できない。国家の行政運営の改革、というアイディアが日本に根付き始めたのはこの時期であった。

ところで、「増税なき」というのはどういう意味であろうか。

「増税なき財政再建」というのは、新自由主義をうまく表現しているように思う。というのは、彼らは「小さな政府」を目指していたからだ。つまり、より少ない徴税とより少ない行政サービスへの指向である。しかし、より少ない行政サービスが実現された、といえるだろうか?小さな政府というのは、行政国家化、福祉国家化の流れに反するものであり、つまり福祉サービスの削減なくして達成できるものではない。しかし、日本においては、一部の施策を除いて福祉政策が抜本的改革を経験することはなかった。

そして、このとき、いずれ増税が必要になる、という認識はなかったのだろうか?議会では増税は嫌われる。しかし、長期的展望に立てば、やがて増税が必要になることは明らかではなかったのか?あるいはここで「増税なき」というスローガンを立ててしまったことが、未来に重い荷物を送ることにはならなかったのだろうか?

福祉国家化の流れは止まらないだろう。それは「おひとりさま」の時代を迎えて明らかである。皮肉に聞こえるかもしれないが、それは主権国家の運命なのかもしれない。「家」という身分が消滅し、個々の国民という身分だけが残った近代国家の真の姿である。議会に新しい保守主義が到来する矛盾を感じ続けなければならないかもしれない。

【追記】2013.5.5
「増税なき行政改革」は第二次臨調の会長であった土光敏夫(1896-1988)が会長就任にあたって政府(鈴木善幸首相、中曽根康弘行政管理庁長官)に申し入れたものであるという。土光氏はエンジニア、実業家。東芝社長・会長を経て1974年、第4代経団連会長。