2013年3月10日日曜日

【かんそう】Menage a troir

Why we can't be successful?

Does my own success deprive other's?

2013年3月5日火曜日

【おぼえがき】Proud Slaves

古代ギリシャの政治社会はそれを構成しない奴隷の存在によって支えられていたと言えるだろう。
民主主義の重要な要件の一つは、政治社会の構成員が政治参加するためのコストを負担できることである。
これを現在の日本について考えてみるとどうだろうか?

先ごろ厚生労働省が来年度から「准正規労働者」の導入を企業に求めていく(補助金)ことを決めた。
厚生労働省の目論見は、「雇用の安定」にある。
ここしばらく、いわゆる非正規労働者に関するニュースが続いている。
まず第一に、平成24(2012)年10月から既に施行されている、非正規職員の正規化を進める労働者派遣法の改正である(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/haken-shoukai/kaisei/)。その目玉は有期雇用の無期転換権に関する改正である。
第二に、2月19日に総務省が発表した労働力調査によれば、有期労働者は1410万人以上に上ることが明らかになった。これは、それまで1200万人程度という見込みを大きく上回る結果であった。労働力調査の方法を変更したことが大きな成果をもたらしている。

日本では、企業人事部が持つ広範な人事権を背景とした長時間(かつ非生産的)労働を強いられる正社員と、有期雇用や派遣労働、短時間労働といった形態で働く(ことが多い)低処遇の労働者とのあらゆる領域で格差が拡大しているのではないか、という懸念が広がっている。今回の一連のニュースは後者に関連するものというわけだ。

他方、前者についてはどのような対策が必要だろうか。
東京大学社会科学研究所のシンポジウム「危機に克つ雇用システム」(2013年1月11日)のパネルディスカッションでは、中村圭介氏が「日本人は働かされているのではなく、自主的に長時間労働をしている」ことを紹介したが、そうだとすればその対策は困難な道をたどるしかない。濱口桂一郎氏は労働時間規制を提唱する論者の一人だが、そうでもしない限り日本人の非生産的長時間労働は止められないという認識では共通していると言えるだろう。

そして、この事実はひどく悲壮な可能性を我々に突きつけてくる。
それは、自己を奴隷のように組織に拘束して働き、それ以外の事項に関心を払わない、という日本人の姿である。政治はもちろん、自分の住む地域や、家族にさえ、資源を投入しない。なぜなら、彼らのあらゆる資源は、奴隷として仕える組織に向けられるのである。確かに労働の対価を得ているが、それは決して労働の目的ではない。「労働力の商品化」とは労働力が「売り買い」される(という特徴が特に強調される)こと、つまり労働の市場化を端的に表しているが、ここではむしろ「脱商品化」が進んでいると言えるかもしれない。個人主義と自己決定の尊重という理念が普及した現代社会においては、労働の目的は労働そのものになりうるのである。これが日本における人権意識の普及と経済成長の結果だとすれば、それはひどい皮肉である。

このように考えるならば、およそ日本では政治社会が存在するのか、存在したとしてもその構成員に大部分の日本国民は実は含まれないのではないか、という重大な懸念が生じる。なぜなら、彼らは統治団体の意思決定に参加する能力も、機会も、資源も持たないからである。20世紀以降の国家は、国民=政治社会の構成員というインフラストラクチャーを前提に運営されてきた。そこではすべての国民が何らかの形で公共的ななにかを担うことが要求された(=公務)。政治参加は権利であると同時に義務でもあったのである。しかし、もし日本国民が政治社会に参加する意志を持たないのであれば、日本はまさに21世紀で奴隷制社会を実現していることになるだろう。