2013年2月17日日曜日

【おぼえがき】過程の支配者

A Man who sets procedure knows destination.

行き先を決めることは我々の仕事ではないが、行き先を検討する過程を支配することで結論が誘導されることが十分にありうる。
この点について、多くの人間が気づいていないことは不幸である。


ところで、メンバーシップ型の雇用制度とジョブ型のそれについて、日本において進歩的な論者は一刻も早くジョブ型のそれを導入すべきと考えるが、これはどのように移行されるのだろうか?

一つは自由放任しておけばジョブ型に移行するという考え方である。これによれば、厚生労働省が何らかの政策を実施しなくても労働市場がそのような方向に進んでいくことになる。もし、いわゆる非正規労働が今後も一貫して増加するのであれば、ジョブを労働者ごとに切り分けていくことになるだろうから、自然にジョブ型に接近するかもしれない。

二つ目の移行モデルは、市場に任せてもジョブ型に移行することはないか、もしくは遅すぎるので、何らかの政策的介入を必要とする場合である。それにはまず、なぜジョブ型に移行しないか(あるいは移行が遅すぎるのはなぜか)という問いに向き合わなければならない。それは、今後も企業がメンバーシップ型雇用を続けていくか、という問いに等しい。

しかし、メンバーシップ型vs. ジョブ型という議論の立て方は賢明ではないのではないか。
企業としても、ジョブ型雇用から得られるメリットは大きいと一般的には言えるだろう。ジョブがなくなれば(つまりジョブが不採算であれば)労働者を解雇できる(可能性が大きくなる)からである。そして、ジョブ単価の設定は同時に労働条件の切り下げを意味するだろう。
それにもかかわらず、ジョブ型移行への機運が盛り上がらないのはその理由が強力だからだろう。

第一に経済主体の移行コストである。
既にメンバーシップ型の下で雇用してきた労働者をどのように扱うのか。同じ職場内でジョブ型とメンバーシップ型の双方の労働者が共存できる可能性は小さいだろう。また、労働条件の切り下げは労働者の反発を受けて難しいかもしれない。経営者にとって、移行の便益が移行コストに見合ったものでないかぎり、移行はなされない。
大きいのは、法制度の問題である。現在の労働法制、保険制度等の法制度はメンバーシップ型雇用に対応したものになっている。ジョブ型は失業しやすく再就職もしやすい社会制度で成立しやすいモデルであることを考えれば、これに対応した社会と法制度を必要とする。しかも、導入後、少なくとも一時的には今は5%にも満たない失業率が跳ね上がることになるだろう。これは大きな代償である。

そして、政策によってジョブ型雇用に移行させることも困難を極めるだろう。それはいくら厚生労働省がジョブ型雇用を唱えても、結局雇用の在り方を決めるのは個々の企業であり、強制(ここで強制というのは押しつけくらいの意味である)の文脈で解決する問題ではないからである。したがって推進する政策はごく間接的なものになるだろう。

理想的にも見えるジョブ型雇用だが、これらを考えれば実現は不可能であると断言してもよいのかもしれない。むしろ、いわゆる正規雇用、非正規雇用の格差をどう埋めていくか、という具体的な方策を考えるべきなのかもしれない。労働組合について書かれた中村圭介(2009)「壁を壊す」(教育文化協会)がその示唆になってくれるかもしれない。労働者も企業経営に参加しているのである。

ところで、この手の二分法の議論においては、日本はしばしばハイブリッドという手法で乗り切ってきた経験があるが(たとえば福祉政策)、今回はそれは可能だろうか。これはまだ検討されていない。過程を支配する、というのは、対立する議論を収束させる手段を持っている、ということである。

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