2013年5月4日土曜日

【おぼえがき】Curse or Blessing

"Is this a curse or a blessing that we give?" - B. Joel "Two Thousand Years"(1997)

やはり、我々は何を再生産しているのか、という設問は用意しておかなければならないだろう。

2013年3月15日、安倍首相はTPP交渉参加を表明した。貿易の自由化において出遅れているとされている日本にとって、大きな一歩となりそうである。


ここで備忘録的に書いておきたいのは、新しい世代がどうなっていくのか、ということである。

人口動態から言及しておこう。
日本は先進国の中でも少子化と高齢化の進行が激しい。この流れが止まるか、という疑問は既に意味を持たない。高齢化は現在および将来の労働人口の相対的減少(による社会保障負担の増大)と言い換えてよいだろう。少子化については、「生み育てやすい社会」という目標だけは掲げられている。
労働人口の減少に対応する対策は、女性の労働力化である。しかし、これは、少子化対策とトレードオフの関係にある可能性がある。

「働かざるをえない」と感じる人々が、子供を産み育てる余裕を持てるだろうか?

もう一つは、日本において育児と教育がどのような役割を果たしているのか、という点を考えておく必要があるだろう。
教育が国民に与えてくれるものは大きい。
しかし、もはやその真偽はナイフの刃の上にある。日本はすでに先進国として基礎的教育の普及による恩恵を受ける段階をとうに通り過ぎている。
そして、とりわけ近年の日本において教育とは学歴の付与であった。つまり、大卒か、高卒か、中卒か、という区分である。しかし、大学進学率の上昇によってこの教育の在り方は社会に適合していないと見るべきである。

ほかにも考えるべき問題はある。
経済発展が資源開発と同義だと考えるならば、日本国民は資源開発によってより多くの資源を手に入れることができるのか?いや、それとも経済発展ではない何かから人々は何かを得ることを学ぶのだろうか?


我々の仕事は社会学であると言ってもいいのかもしれない。

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